Moon-Lite BLOG

★ BLOG タイトルバックのイラストは大阪の大御所 「JET」のジミーさんから去年の20周年の時にいただいたものです。

現物はお店に飾ってあります。

● 伝説のフリーペーパー「Authentico」編集長 渡邉正の世界 Vol.2 * ダンスはうまく踊れない〜CKB Flying Saucer 2013 京都レポート

 

“ダンスはうまく踊れない”

 

Come on everybody, clap your hands,

Oh, you're looking good

I'm gonna sing my song,it won't take long

We're gonna do the Dance and it goes like this

 

ブラックミュージックとダンスは切り離しては考えられない。

シェイク ツイスト マッシュポテト ブガルー シーシー etc.etc…。

ブラックミュージック好きならば誰しもカッコ良くソウルダンスをキメたいと思うはず。

僕自身もそう思うわけだがどうにもダンスはうまく踊れない。

残念ながらズンドコ踊りになってしまう。

黒人ダンサー独特のしなやかでキレのあるダンスは天性のものななのか。

 

英国のユースカルチャーであるノーザンソウルシーンでは

60年代のヒューマンなソウルミュージックに合わせてスピンし開脚する。

ハイハットの刻みに合わせるように高速でアクロバティックなダンススタイルとなる。

黒人の腰を中心に渦を巻くそれとは異なるのは白人のダンススタイルだからかも知れない。

ともかくそんなことよりも、身体で感じるブラックミュージックは楽しいし、

たとえ踊れなくてもリズムに合わせて身体を揺らすだけ気持ちの良いものである。

 

 

“靴が鳴る”

 

Well it,s one for the money

Two for the show

Three to get ready now go cat go

But don't you step on my doctor shoes

Well you can do anything

But stay off my doctor shoes

 

そう、ダンスはうまく踊れなくても気持ち良く踊ることはできる。

少し前に大阪東心斎橋で行われたファンクのイベントに行った時のこと。

同行したスタッフの花田は会場に入る前に、

底の薄いヒールがぺったんこのバレエシューズに履き替えた。

フロアで花田はミズスマシのように軽やかに足を滑らしながらステップを踏む。

その隣で僕はズンドコ踊り。

花田曰く「酔っ払いながらこれ履いて踊ると気持ち良い」

なるほどである。

オドルトキモチイイ

ハードコアなダンサーでなくても少しだけ靴に気を使うべきなのである。

ノーザンソウル周辺のイベントではバレエシューズに履き替えている人が結構多い。

バレエシューズはゲンズブールやバルドーが履いていたレペットが有名だが他にも色々あるようだ。

そこのところはこちらを見てほしい。

 

 

うまく踊れる踊れないは天性のものかもしれないが

気持ち良く踊るのは心の持ちようと工夫次第。

ゴム底は滑らなくて踊りにくいし、

第一スニーカーではテンションが上がらない。

固めの革底の靴が好ましいが、

あまり高価な靴はダンスフロアーで気が引ける。

ハードでアクロバティックなダンスをするのでなければ

僕はハルタのドクターシューズをお勧めする。

スリッパに踵がくっついたようなデザインで、

主にお医者さんや僧侶が履くもの(笑)だそうで、

独特の形状が脱ぎ履きしやすく、往診や檀家周りに最適との事。

院長とか金文字を入れるサービスもあり、

誰かJBとか入れる猛者はいないだろうか。

東京タワーの基礎工事が着工された昭和30年に発売され、

今だに作り続けられている超ロングセラーだ。

この靴、ファッション業界で特に注目を浴びるでもないが、

これがどうして、なかなかカッコ良い。

丸過ぎずトンガリ過ぎずの奇跡のシェイプと

バックリと割れたV字開口は相当モダンで、

GUCCIあたりがパクっても不思議でないと僕は思っている。

薄く固めのソールが適度に滑ってくれるので、

ダンスには持ってこいだし、第一安い。

ダンスシューズに特化するなら底にスウェードを貼れば尚良い。

ちょうちん袖のシャツにソウルパンツのソウルトレインスタイルにも、

コンポラスーツやチキンスラックスのジェイムズ・ブラウンスタイルにも似合うし、

不良アイヴィーのマストであるコブラヴァンプ以上に黒人度は増す。

 

白のリブソックスやラインのチューブソックスを合わせばヤバめのヒスパニック気分も上々となる。

チャコットバレエシューズ
チャコットバレエシューズ
ハルタドクターシューズ
ハルタドクターシューズ
リーガル・コブラヴァンプ
リーガル・コブラヴァンプ
レペットJAZZ
レペットJAZZ

 

“だからあなたは京都にゆくの”

CRAZY KEN BAND TOUR “Flying Saucer 2013” 

 

最新にして最高のブランニューアルバム『フライングソーサー』を引っ提げ東洋一のサウンドマシーン“クレイジーケンバンド”が京都劇場にやってきた。

ここのところクレイジーケンバンド ライブ観戦のメンツは固定化していて、

チーム“ハゲとナデ肩”+目ヂカラのあるナオンは、

京都プチ観光も兼ねて昼前に京都駅に集まった。

京都プチ観光のテーマはズバリ“007は2度死ぬ”。

間違った東洋感とボンドカー トヨタ2000GTの流線型のシェイプを追い求め、

いにしえの京都をほっつき歩こうという趣向である。

由緒ある神社仏閣では謎の東洋人テイストのスナップ写真を多く撮ったが、ここでは割愛する。

 

とりあえずメシということで我々が向かった先は喫茶マドラグ。

お目当ては巨大な玉子サンド。

関西の玉子サンドはゆで卵でなく玉子焼きが定説だか、

今ではそんな玉子サンドもめっきり少なくなり絶滅危惧メニューとなっている。

で、ここは玉子焼きの玉子サンドが食べれる店として有名だが、その辺の喫茶店のサンドイッチを想像していると、あまりの巨大さに面食らうだろう。

巨大ではあるが、上品でチャーミングな味とフワフワの玉子焼きとフカフカの食パンが、

幸せな気持ちにさせてくれる。

2皿頼んで3人でシェア。

しかし4切れ×2で8切れは3人で割り切れない…。

ここは若手のナデ肩が身を引き、

ハゲと目ヂカラのあるナオンが3切れづつナデ肩が2切れを食べた。

凄いボリュ〜ム!お腹いっぱ〜い!もう充分過ぎ〜!と、はしゃぐハゲと目ヂカラのあるナオン。

店の佇まいも素晴らしく、昭和モダンなスタイルと絶品の喫茶メニューはいつまでも存続して頂きたいと切に願う。

その後、祇園の八坂さんを参拝し、

木屋町恵比須444と言うナイスな所在地にあるなじみの服屋をひやかす。

古い料理屋の店構えをそのまま使った店内には、

売れ筋から遠く離れたオッサン臭い服が並び、たまらなくカッチョ良い。

ハゲは、この店の服がいかに素晴らしいかを店員相手に熱く語り、

そして何も買わずに店を出る…南無〜。

 

なじみの服屋からすぐ側の、高瀬川のほとりにあるキルフェボンというケーキ屋さんで

イチジクやら柿のケーキを頬張るが、

お上品な奥様方ばかりの店内で明らかにハゲとナデ肩は浮いていた。

木屋町からタクシーを飛ばし、東山の東福寺を拝観する。

ストイックでシャープな市松模様の意匠の庭園に一同息を飲む。

クラシックも古典も突き詰めるとモダンと同意となることを実感。

 

プチ京都観光を満喫した頃、日も暮れ始め、

待ちに待ったクレイジーケンバンドのショーの開幕が近づいてきた。

 

京都駅に戻りたかばしの古典的ラーメン屋で早めの夕飯を取る。

それにしてもなんだろう、この京都の普通のラーメンは絶品だ。

昨今のやたら能書きだらけで

「心を込めて支度中」などの札が開店前にぶら下がるラーメン屋には辟易するのだか、

いたって普通にずっと同じことを続ける普通のラーメン屋は今では逆に普通で無くなりつつある。

ここのラーメン屋のトイレは地下にあり、

やたら狭い階段を降りてトイレにたどり着く頃には靴底はラードでヌルヌルになる。

ノーザンソウルシーンでは、滑りを良くするためにテンカフンを靴底にまぶすのだが、

我々は靴底にラードを塗りクレイジーケンバンドでズンドコ踊る。

 

言い忘れていたが我々の足元は、バンドの強力無比のグルーヴを受け止めるためのとっておきのダンス仕様となっている。

目ヂカラのあるナオンはレペットJAZZ!ナデ肩は定番コブラヴァンプ、そしてハゲのドクターシューズ。

 

お腹も膨れたところで、そろそろ開場の時間となった。

 

緞帳が開き、ラテン歌謡なロックナンバーフライングソーサーでショーはスタート。

クレイジーケンの登場ですでに会場は沸点に達する。

この始まりが好き。

 

〜以下、会場を物凄い音楽の渦が包む怒涛の3時間…。

嬉しかったのは今回のツアーで京都劇場限定の楽曲「京都野郎」。

人力+打ち込みでボトムを強化し、

都々逸〜小唄とジェームス・ボンドを落とし込んだご当地ソングの難しいニュアンスを実に上手く実演していた。

今や世界一の安定感と言えるヘビー級のJBメドレーはレディマスタングから繋がれる。

かなり繊細なことを各々が行い、

それが積み重なることで豪快に雪崩のように転がり進むダンス極楽。

ベストトラックはシフトチェンジか。

クレイジーケンバンド史上最もカッコ良いベースラインをCD以上のクオリティで堪能出来た。

これまでのライブからすると、かなり大人っぽく艶のある曲構成で、

破綻と無縁の余裕シャクシャクの演奏陣が印象的。

ライブハウスではスリルを、ホールでは芸能度を高くする隙の無さは叩き上げのバンドならではだろう。

クレイジーケンの歌唱やトークはこれまで以上に古典芸能度が増して冴え渡る。

今クレイジーケンは、最盛期のトムジョーンズやフリオイグリシアスかセルジオメンデス辺りと同じ地平に立っていると思う。

ショーのフィナーレはクレイジーケンバンド史上最も大仰な楽曲「男の滑走路」〜「地球が一回転する間に」。

 

澄み切った青空に掛かる見事な虹のアーチを大型ジェットが悠々とくぐり抜け、

色とりどりの無数の風船が天を埋め尽くし妖精が舞い踊る、めくるめく音楽の万華鏡。

 

エンディングSE「よくあることさ」トムジョーンズが流れメンバーがひとりずつ捌けて客電が灯りショーは終わりとなる。

 

まるで宝塚ファミリーランドの「世界はひとつ」のようなフィナーレに、

クレイジーケンバンドの新境地を見た想いがする。

三者三様、とっておきのダンス仕様の足元で固め、

お気に入りの音楽に身を委ねる秋の京都の一日がこれで終わる。

本当なら〆にちょっと一杯行きたいところだが、電車の時間を気にしつつ、各々の家路に就いた。

 

恐々謹言

 

昨年、某メールマガジンに掲載の「クレイジーケンバンド秋のツアーライブのスチャラカレポ」を一部修正して掲載しました。


JAMES BROWN 伝記映画 "GET ON UP"が 2014年8月アメリカで公開だ!

ついに完成!JAMES BROWN の伝記映画 "GET ON UP !"

製作プロデュースを手がけたのはミックジャガー。

主演のJB役は、Chadwick Boseman 

 

その他詳細はこちらでどうぞ

 

Chadwick Boseman のインタビュー & 撮影風景はこちら

イラストはイメージです。タイムリーなハレンチノの新作です
イラストはイメージです。タイムリーなハレンチノの新作です

KEEP YOUR SOUL !

1994年秋、

翌年に迎えるバー・ムーンライト3周年記念イベント「That's Soul !」を

メリケンのフィッシュダンス・ホールでやる事が決まり、

その記念のステッカーとかT-シャツを作ろうと

いろいろ考えていた時でした。

その日買ってきたばかりの MACEO PARKER の12インチを

何気なく手に取ると "Keep Your Soul Together" というタイトルが目に入りました。

 

 "Keep Your Soul"="魂を貫け!"  

なんと素晴らしい言葉・・・

 

あまりにもグサッと心に突き刺さり、そのまま頂戴したわけです。

 
1995年2月、幻のムーンライト3周年パーティ
1995年2月、幻のムーンライト3周年パーティ

 

 

 

 

 

結局その3周年イベントは、1995年1月17日の阪神大震災で中止となり、

幻のイベントになってしまいました。

 

震災後の状況はあまりにもひどく、

荒れ果てた神戸の街には無責任な「がんばれ!神戸」のポスターが溢れ

途方にくれてしまう事が何度もあったのですが、

僕はその度 "Keep Your Soul"という言葉に助けてもらったような気がします。

 

Bar Moon-Lite は、今年2月14日で22周年を迎えます。

なんとか続けて来れたのは、応援していただいている皆様のおかげだと日々感謝している次第です。

できれば、体の続く限り"Bar Moon-Lite"を続けることができればいいなと思っておりますが、

22年も経ちますと、自分もお客さんも同じように年を取ってきているのも事実で、

子育てや、親の介護に追われ「行きたいけどなかなか・・・」とおっしゃる方も多く、

それに加えて、えらいスピードで変化してゆく世の中の状況や環境に対応できなくなり、

病を患う方も結構いらっしゃいます。

ここ数年で何人かの知人、友人も消えてしまいました。

 

「これから、どうなっていくんやろ?」と

ふと思うことがあるのですが、やっぱり答えはひとつ。

 

Keep Your Soul Together !

 

● 伝説のフリーペーパー「Authentico」編集長 渡邉正の世界 Vol.1 * Skull and Bonesの話

“R.I.P.山崎眞行”

例年に無い記録的なスピードで北上した今年の桜前線。

大阪を飛び越して咲き乱れた原宿の桜に紛れ、ひっそりと山崎眞行氏が逝去された。

享年67歳。

 

フィフティーズムーブメントの立役者であり原宿ストリートカルチャーの開祖、

そしてビビアンの永遠の恋人。

手掛けたお店は怪人二十面相、キングコング、シンガポールナイト、クリームソーダ、

ガレッヂパラダイス東京、ピンクドラゴンなどなど数知れず。

 

自分の理想はすべて「お店」という表現方法で叶えられるとして、

前例のないエポックメイキングな店舗を次々とスクラップ&ビルドしてきた。

山崎眞行氏がどんな人物か説明しようと思うとこんな感じになるのか 。

 

“原宿ゴールドラッシュ”

1977年にやってきた時代の大波、原宿ロックンロールムーブメント。

その予兆は数年前からあった。

キャロルやクールスにチェリーボーイズ・・・。

50〜60年代をイメージしたロックンロールバンドの台頭。

76年には歌謡曲サイドからは、あおい輝彦の「あなただけを」がビッグヒット。

この「あなただけを」という曲、

ミドルテンポでメローなリゾート感溢れるツイストナンバーで、甘く切ないなかなかの名曲だ。

そして、この曲のリゾート感や甘く切ないロックンロールのリズムこそが山崎眞行氏が手掛けた数々の「お店」の世界観だった。

この「あなだけを」という楽曲、作詞を担当したGAROの大野真澄氏は70年代初めから山崎眞行氏のお店「シンガポールナイト」に出入りしていた人物だ。

原宿の隅っこで起きた小さなカルチャーの波は日増しに大きくなり、

やがて途轍もない時代の大波となっていった。

そんな予兆を巧みにすくい取り、世に問うたと考えるのはあながち間違いではないだろう。

 

粗野でシンプルなロックンロールを信条としたCAROLとは少し違う、

甘くPOPなティーンネイジドリームやアメリカンゴールデンドリームを標榜する

山崎眞行氏の描くフィフティーズという名の時代の大波。

 

それは原宿の洋服と雑貨を扱う店「クリームソーダ」から始まった。

新宿の片隅にあった雑居ビルの五階の小さな店の壁を黒いペンキで塗り潰し、

即席のロックンロールバー「怪人二十面相」を手掛けたのち、

拠点を原宿に移しベトナム戦争で消費された大量の革ジャンパーの古着を扱う店を作った。

あまりにシンプルで慎ましい「クリーソーダ」のスタートだった。

 

店の内装は相変わらず安っぽいが、ギラギラとした原色のペンキで描かれた

金髪のポニーテールやリーゼントが色を添えだした。

陳列される商品も着古された黒い革ジャンパーから

鮮やかな色目のボーリングシャツやアニマルプリントのイタリアンカラーのシャツへ。

スエた匂いのするヤナギヤポマードで固めたリーゼントヘアは、

ペパーミントやココナッツの甘い香りのするグリースに変わり、

リーゼントの造形も複雑な流線型をした巻貝のようなフォルムに変化した。

ブルージーンと皮ジャンパーという福生・横田・横須賀・佐世保等の進駐軍経由のやさぐれたカジュアルスタイルに取って代わり、もっと大胆に、そして洗練されたものとなっていった。

衣食住から音楽に至るすべてを、

山崎眞行氏のフィルターを通して「クリームソーダ」で提示した見せた。

 

「あなただけを」で再びのスターダムの座を手に入れつつあったあおい輝彦は

連日のテレビ出演に、原宿ホコ天で踊っている「クリームソーダ」の洋服で着飾った若者達を登場させた。

あおい輝彦がその甘い声で歌い出すと、

思い思いのフィフティーズルックのリーゼントやポニーテールがツイストやジルバを踊った。

「あなただけを」であおい輝彦は1976年オリコンヒットチャートを6週連続1位を獲得。

翌1977年には、やはり甘いツイストナンバー「Hi-Hi-Hi」がオリコン7位となる。

フィフティーズムーブメントという時代の大波は往年のスターをも後押しした。

 

その頃、ジルバを踊ろうジャック&ベティのキャッチコピーでSONYのラジカセ「ジルバップ」が登場。

プレイボーイ、ポパイ、ゴローなどの雑誌がこぞって「クリームソーダ」を中心に渦巻くムーブメントを紹介し始めた。

 

原宿で起きているシーンを雑誌やテレビを見て指をくわえるしかなかった大阪でも

ナビオ前歩行者天国でストリートダンスが始まり、

デカいラジカセを持ち出して屋外でツイストを踊るという行為がいよいよ全国に飛び火した。

1977年を沸点とする、このフィフティーズムーブメントという時代の大波は

その後も衰える事なくうねり続けていく。

 

 

 

 

70年代末、雑誌POPEYEに掲載されたクリームソーダ記事

今と違いなにより雑誌がパワーを持っていた

 

 

 

 

「MID-CENTURY MODERN」という洋書で紹介された山崎氏の部屋

“粉紅之龍”

そして「ピンクドラゴン」が完成。 

自分の理想はすべて「お店」という表現方法で叶えられるとして、前例のないエポックメイキングな店舗を次々とスクラップ&ビルドしてきた山崎眞行氏。

その集大成とも言えるビルが「ピンクドラゴン」。

イメージはマイアミやキューバ、或いはシンガポール当たりにありそうなアールデコ様式の建物。

いわゆるトロピカルデコと言うスタイルだ。

屋上にはプール、地下にロカビリーバンドが演奏出来るスタジオのある店舗。

見たこともないアールデコ様式の家具で設えたカフェもあり最上階は山崎眞行氏の住居となっている。

洋服だけではなく、雑貨や家具も売られていて、ピンクドラゴンには不良高校生から業界人までありとあらゆる人種のお客が押し寄せた。

日本で前例のないそのトロピカルデコの建物はファッション雑誌やCMのロケ地としても使われ山崎眞行氏の仕掛けたカルチャーはフィフティーズの枠を超えて時代の最先端に躍り出た。

 

1977年、原宿からはフィフティーズの波が、キングスロードからはロンドンパンクスの波が起きた。

今になって、そのふたつのムーブメントは根っこで繋がっていたことがわかる。

ロンドンパンクの仕掛け人であるマルコムマクラーレンとヴィヴィアンウエストウッドは山崎眞行氏と旧知の仲で、ロンドンに於いては当時英国病とも言われた慢性的不況を時代背景に若者に「NO FUTURE」と叫ばせたのであり、逆に高度経済成長の気分が続く日本では50年代のゴールデンドリームを提示して見せた。

それこそがリアルなカルチャーだと僕は思う。

 

それでも山崎眞行氏が原宿クリームソーダに掲げたドクロ旗には「Too Fast To Live Too Young To Die」と記されている。

この文章の意味については色々な解釈が出来ると思うが、実はヴィヴィアンウエストウッドが当時やっていたパンクファッションのブティックの名前だ。

そこに並ぶ服はレザーボンテージと並び

ズートスーツやビリビリに切り裂かれたボーリングシャツや穴だらけのモヘアセーターなどのフィフティーズファッションのリメイクだった。

クリームソーダの洋服はそれを切り裂さいたりせず蛍光色に色を変え生地や縫製のクオリティをわざと落としてことさら安っぽくリメイクした。

糸から作り上げたオリジナル生地を起こすという贅沢なモノ作りをしているにも関わらず、あえて安っぽくすることで出てくるニュアンスを選んでいる。

パンクロックの稚拙な演奏とラフでチープな録音をそのまま服飾に当てはめ、高度経済成長の日本に潜むフラストレーションを洋服にそっと忍ばせた。

 

今なら時代考証はもちろんのこと、クオリティも素晴らしいリアルなフィフティーズファッションが容易に手に入る。

山崎眞行氏が凄いのはそこでは無くて、あくまで山崎フィルターを通したカルチャーを作り上げたことだと思う。

「ハートはテディ」という山崎眞行氏の著書の中に、50年代は過ぎ去った過去でなくこれからやってくる未来だと述べられている。

 

1977年の夏、フィフティーズとパンクスはせめぎ合い共振しながら日本中を振るい動かした。

そして、そこを発火点として、姿形を変えながら現在まで様々なストリートカルチャーが生まれてきた。

クリームソーダに掲げられたスカル&クロスボーン旗と

Too Fast To Live Too Young To Dieを

クリームソーダファンは「やるだけやってしまえ」と読むのです

 

“Too Fast To Live Too Young To Die”

例年に無い記録的なスピードで北上した今年の桜前線。

大阪を飛び越して咲き乱れた原宿の桜に紛れ、ひっそりと山崎眞行氏が逝去された。

享年67歳。

 

フィフティーズムーブメントの立役者であり原宿ストリートカルチャーの開祖、

そしてビビアンの永遠の恋人。

手掛けたお店は怪人二十面相、キングコング、シンガポールナイト、クリームソーダ、ガレッヂパラダイス東京、ピンクドラゴンなどなど数知れず。

 

 

身内だけで告別式を行ったあと、クリームソーダサイドは山崎眞行氏の逝去について一切口を閉ざしている。

マスコミ関係の取材や問合せも全て断ったとのこと。

ショップのブログにもそのことは何も書かれなかった。

そして今も、何事もなかったかのように安っぽく作られたTシャツやボーリングシャツを売っている。

 

今後のクリームソーダ/ピンクドラゴンがどうなって行くのかは知る由もないが、このことはいかにもクリームソーダ的で山崎眞行氏らしいと思う。

 

恐々謹言

 

 

 

 

 

 

 

AUTHENTICO代表

渡邉正

 

● ガーランド作ってきました at 海岸通マンドレイク

 

 

 

 

まずは、生地とひもを選びます。たくさんあるので、結構迷いました。

 

 

 

 

 

布用ボンドでひもに貼付けて巻き込みます。

しっかり接着するまでクリップで挟んでおきます。

 

 

完成しました。所要時間は約1時間。3才のお嬢ちゃんも参加していました。

COLD SWEAT !

「わしは、今日、名古屋刑務所を出てきたとこなんや・・・」

そのおっちゃんは、カウンターの椅子に座ったとたんにしゃべりだした。

「ああああっ、そうなんですか? (冷汗・・・)」

ガタイのいい体つきと鋭い目つきに堅気の人にはない特別なオーラがにじみ出ていた。

「う、うちの店をどこで・・・?」

おっちゃんは、菅原文太ばりのドスのきいた声で答えた。

「ムショに置いてあった "るるぶ神戸" ちゅう本に、ジェイムス・ブラウンが聴ける店やゆうてここが紹介されとったんじゃ・・・」

「出所したら一番に、ここに行こうと決めとったんや」

と、おっちゃんは笑顔を見せた。

「あ、ありがとうございます・・・」

見かけによらず、ええ人やんか・・・今度"るるぶ"の取材の人に教えたろと思った。

 

「マスター、ジェイムス・ブラウンのカッコええ曲たのむわ・・・」

「ブラウン」の「ラ」が巻き舌だ。

カタカナでは表現しにくいが、英語表記だと「JAMES BRRRROWN」という感じ。

だいたい年配で"JB"好きの方に共通するのは巻き舌の「ラ」を使うことだ。

青春時代に不良と呼ばれていた方は必ずといっていいほど、その「ラ」を使う。

 

とりあえず"I Feel Good"〜"パパのニューバッグ"〜"Cold Sweat"と

ノリのいいのをたて続けにかけておっちゃんを盛り上げた。

ご機嫌になったおっちゃんを見てると、何かいい事をしているような気にもなってきた。

どなた様にも楽しいお酒を飲んでもらうのが「バー・ムーンライト」の信条だ。

 

そしておっちゃんは、この神戸のバーで"JB"とシャバの空気を満喫するはずだったのだが・・・

 

店内は徐々にお客さんが増え始め、いつかしら満席になった。

人の声がかなりの騒音になるということは分かっていたが、

その日は4,5人のグループの話す声が特に目立って騒々しくなっていた。

おっちゃんのリクエストする"JB"が、混み合う店内の話し声や笑い声で聞こえにくくなってきたのだった。

 

突然、おとなしく飲んでいたおっちゃんの目が一瞬光った。

騒音の方へ一瞥をくれる。

僕は少し恐怖をおぼえた。

おっちゃんはすでに5杯飲んでいる。

こちらに顔を向けた目もすわっていた。

「マスター、もうちょっと音上げてくれへんか」

ボリュームを上げてみたら話し声も大きくなった。

こらやばいぞ・・・おっちゃんの顔は怖い。

「マスター、もっと音上げてくれ」言葉が荒くなっていく。

で、またボリュームを上げるが、話し声も負けてはいなかった。

大音量の"JB"と喧噪とが絡み合い、店はディスコ状態になった。

 

「おうりゃぁぁぁぁぁぁぁ!じゃかましいんじゃぁぁぁぁぁぁ!」

 

突然席を立ち、おっちゃんは叫んだ。

しかしその声は届かなかった。

静かになったのは、隣の若いカップルだけだった。

会話のなくなったカップルはすぐに店を出た。

おっちゃんの不機嫌な気持ちもわかるが、こっちも商売だ。

大声を出されては困る。

さりげなく注意をしてみたが、まったく聞いていない。

話す言葉も支離滅裂になってきた。

また立ち上がり意味不明な大声を出し始めた。

これは、ほんまにやばいぞ・・・。

すると突然、おっちゃんが椅子から落ちた。

倒れたおっちゃんはうなっている。

「大丈夫ですか?」

起こそうと思い手を貸そうとしたら蹴られそうになった。

ケガはしていないが、転がったままでまったく起きる気配がない。

何度か起こそうと試みたがその度に暴れだす。

こらあかん。誰にも手のつけられない状態だった。

結局、110番することにした。

10分後、おっちゃんの天敵である2人の警官が現れるとまた寝転がったまま暴れ出した。

大きなガタイと激しい抵抗とおまけに力が強い。

警官2人ではとても歯が立たない。

警官の一人が応援の連絡を入れた。

数分後にあと2人が到着。

4人がかりで両手、両足をつかみ、暴れるおっちゃんをなんとか店外に引きずり出した。

そのまま無理矢理起こされたおっちゃんは、やっと観念したのか急にうなだれた。

警官4人に囲まれ、革ジャンを肩から掛けられ、叫んでいるおっちゃんはまるで"JB"のようだった。

店の中からは"Please,Please,Please"が流れていた。

 

その夜、掴まれた腕をふりほどいて店に戻ってくるおっちゃんの夢を見た。

目が覚めると寝汗をかいていた。

 

世界のMOTOWN 〜ヨーロッパ編〜

Nina Zilli ‎– Sempre Lontano (2010 Unversal)
Nina Zilli ‎– Sempre Lontano (2010 Unversal)

「あしたのパスタはアルデンテ」(2010 伊) という映画を観た。

前知識なしだったのでてっきりイタリアの料理人の映画と思っていたら大間違いだった。

原題の「Mine Vaganti」とは、〜何をしでかすかわからない危険人物〜の意味で、

概ねそういう男たちが主人公のコメディだった。

舞台がイタリアのパスタ工場だったので、そういう邦題がつけられたのだと思うが、

2011年のイタリア映画祭での特別上映では「アルデンテな男たち」というタイトルだったそうだ。

内容からすれば、そちらの方が気がきいているのに・・・。

男好きな方?におすすめします。

映画もけっこう楽しめたが、僕は途中のパーティーのシーンで流れた曲がやたら耳に残ってしまった。

どこかで聞いたことがあるような気がして昔の曲かなと調べてみると、

Nina Zilliという姉ちゃんが歌っているのだった。

2010年デビューアルバム「Sempre Lontano」の1曲目「50 mila」(発音は、チンクワンタ・ミ〜ラ)という曲だった。

さすが映画に使われただけによくできた曲。

アルバムは60年代ポップス風あり、カンツォーネあり、レゲエあり、

そしてモータウン・サウンドがところどころに散りばめてあります。

6曲目「L'Amore Verrà」(発音は、ラモーレ・ヴェッラ) は、

シュープリームス「恋はあせらず」のイタリア語カバーです。

歌えまっせ! この姉ちゃん。Mi Piace ! (発音は、イイネッ!) 

Ben L'Oncle Soul ‎– Ben L'Oncle Soul (2010 Motown France)
Ben L'Oncle Soul ‎– Ben L'Oncle Soul (2010 Motown France)

世界のモータウンということで、次はフランス。

もうご存知の方も多いと思いますが、

2010年に "Motown France" から発売された (そんなんあったんや) 

Ben L'oncle Soul (発音は、ベン・ロンクル・ソウル・・・いつも覚えられない)

のデビューアルバム「Ben L'oncle Soul」が気に入ってます。

Eddie Hollandの「Jamie」を意識したジャケットの割にはそんなにモータウン・サウンドっぽくありません。

ネオ・ソウルに60年代テイストをミックスさせた感じ。でも歌えまっせ!この兄ちゃん。

2011年のLIVEのDVDでは、ガッタ!・ガッタ!・ガッタ!とシャウトしたり、なかなか男臭いSoul Manぶりが見れます。

フランスのトータス松本だと思いました。

是非生で見てみたいです。J'aime! (発音は、イイネッ!)

Compilation - Motown Around The World (2010 Hip-O Select)
Compilation - Motown Around The World (2010 Hip-O Select)

最後に本家モータウン・コンピレーション「Motown Around The World」(2010 Hip-O Select) 。

オリジナル・アーティストがイタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語バージョンで歌うヒットソング集。

先ほどの Nina Zilliがカバーした「恋はあせらず」のシュープリームス・イタリア語バージョンも聞けます。

60年代モータウンのあの曲、この曲があちこちで歌われていたのですね。

さすが世界のモータウン。

 

ちなみに「モータウン」を中国では「底特律黒人唱片公司」だとか・・・好! (発音は、イイネッ!)

チャーリーブラウンの鐘 (完全版)

 

1985年の元町。人通りの消えた夜の街角にも少しだけ秋の気配を感じ始めた頃だった。

 

その日は誰ひとり、お客さんの来なかった店のかたづけを終えた僕は、

椅子に座ってぼんやり空間を見つめていた。

その時、突然ドアが開き、久しぶりの友人が入って来た。

世界中の誰が見てもきっと「冴えない奴」だと思うだろう僕の顔を見た友人は、

まるで災害救助隊のようなまなざしで救いの言葉を投げかけてくれた。

「一杯飲まへんか?奢るから」と・・・。

 

そこは、南京町を抜け、まだずっと南に下って行った所・・・。

人通りのない夜の海岸通に浮かぶブルーの四角い看板が目に入った。

「CHARLIE BROWN」・・・友人はそこを目指しているようだった。

「ぜったい、やばいで・・・外人バーやろ?」

「大丈夫や」と、振り向きながら友人は笑う。

猫しか通れない程狭い路地の、

猫の目だけが光っているような暗闇の向こうに店の入り口がある。

その薄明かりを目指して、先を行く友人。

とりあえず僕は友人に命を預けることにして、

猫になった気分で後を追った。

 

色褪せた木の扉を開けた時、ギーッと軋んだ音が猫の鳴き声に聞こえた。

周りを見回したが猫はどこにもいなかった。

友人に続いて僕は店内にすべりこんだ。

外国語で交わされる陽気な話し声と笑い声にロックンロールのサウンドが重なる。

エディ・コクランの「サムシン・エルス」だった。

それで充分・・・気分がいい。

 

第一印象はいつでも肝心だ・・・。

 

ほんの一瞬、生まれる前の自分になれたが、またすぐ現実に引き戻された。

 

カギ型のカウンターに座っている重量級のレスラー達を見たからだった。

毛むくじゃらのごっつい腕にはタトゥーまである。怖い・・・

レスラー達は僕たちに一瞥をくれた。緊張感がはしる。

が、友人は慣れたもので、すぐにレスラー達の横に座り、挨拶をかわした。

その頼もしい友人に命を預けたからには、僕も堂々とした風体を決め込み、

友人の横に座ったが、やはりどうも落ち着かなかった。

 

カウンターの中にいるリーゼントのマスターは、

さっきからずっとスタン・ハンセン似の男と話し込んだまま、

こちらを向こうともしない。

マスターの腕には可愛いスヌーピーのタトゥーが彫られていた。

なるほど・・・それで「チャーリーブラウン」か・・・。

 

外国の船乗りは、俗世間と訣別する証としてタトゥー(入れ墨)を入れ

「大いなる海の神様」に身を託すという話をどこかで聞いた事がある。

このマスターも世界の海を渡ってきたのだろうか?

金髪のブロディ似の男と楽しそうに話している友人を見て、

僕も少し落ち着いた気分になってきた。

店内に漂う、嗅いだ事のない葉巻きのような香りがそうさせているようだった。

まさかマリファナじゃないだろうが・・・。

 

不思議なカーブを描くカウンターの黒く鈍い艶が年代を窺わせる。

外人バーのカウンターの奥行きは日本のバーより若干幅広く取るという話を、

初老の大工さんから聞いたことがある。

それは、2メートルもある酔っぱらいがカウンター越しに手を伸ばし、

ボトル棚の酒を勝手に飲んだりするのを防ぐ為だそうだ。

 

天井の間接照明の柔らかい光の下で、

波のように並べられたボトルの天辺が描く曲線が美しかった。

初めて見るのに、どこか懐かしい気分になるのはなぜだろう。

昔、学校をさぼってリバイバル映画館で飽きる程見た日活映画の1シーン。

似たり寄ったりの小林旭の映画には、

いつも決まって喧嘩が始まる港町の酒場が出てくるのを想い出した。

そんな映画をまた飽きもせずに何度も見て、

何処にあるのかもわからない、あの酒場に行ってみたいという衝動にかられた事が何度もあった。

今、まさに僕はそのスクリーンの中にいるようだ。

にわかの主人公になった僕は、

さらに店内を見渡して不思議な物を見つけた。

誰でも一番目に着くであろうバック棚の中央上部に大きな伊勢海老の入った額が、

奉られるように飾ってある。

もしかしてそれが大いなる海の神様なのか・・・。

 

入って来た入り口の方を振り向くとそこには、

錆びかけた西洋風の鐘がぶら下がっていた。

外国船員バーに必ずあるというその鐘は、

長い航海の途中で立ち寄った港の同郷の旧友たちとの再会を祝う為に鳴らすのだそうだ。

そしてその鐘を鳴らした者は全員に酒を奢らなければならないという楽しいルールがあり、

その場所に居合わせたらきっと脳天気な船乗り達の世界を垣間見れたかもしれない。

 

僕の祖父は東北の生まれで、家族が多かったのと貧困で

若くして町に働きに出されるのが定めになっており、

祖父の選んだのは外国航路の船員だった。

船員といっても荷役とかそんな力仕事だったと思うが、

確かに祖父の死後の荷物整理の際に机の引き出しから

外国のコインがいっぱい出てきたのを子供心に覚えている。

たいへんな酒飲みだったそうで、僕が小学2年生の時に肝硬変で亡くなった。

親父のいない僕は祖父が大好きだった。

見知らぬ異国の話もきっと子守唄がわりに聞いていたのだろうか。

そういえば、船乗りに憧れていた時期が確かにあった。

でも、船乗りで酒飲みなんて、まるで僕は隔世遺伝やんか・・・

と、またもや生まれる前の自分を想い出そうとしたところで、

突然マスターが目の前に現れた。

 

長身でハンサムでリーゼントのマスターは、デンマーク生まれでキディと呼ばれていた。

1969年、船を降り、この「チャーリーブラウン」を始めたらしい。

ビールを注文した友人が簡単にお互いを紹介してくれた。

僕はその頃、元町で猫の額のようなカフェ「ムーンライト」の経営に四苦八苦している最中で、そのカフェはオールディーズのR&RやR&Bを流す、どっちかと云えば音楽喫茶みたいな店だということを説明すると、

驚く事にキディは、店の名前は知ってると言って初対面の僕に微笑みかけた。

 

 

 そうして僕は「チャーリーブラウン」に通い始めるようになった。

 

自分の事を多く語らなかったキディの、

数少ない言葉のひとつひとつが当時の僕には大変貴重で価値あるものだった。

「シュミとシゴトをイッショにシタラ、ビジネスはウマクイクワケナイヨ」とか突然言い出す。

まだ20代のアメリカかぶれのリーゼント小僧が、

デンマークの筋金入りロックンローラーに教えられたことは多い。

 

結局、元町のカフェ「ムーンライト」は1985年の暮れに思い切って閉店することに決めた。

それから7年を経た1992年2月、

「チャーリーブラウン」のすぐ近くの栄町通に場所を移し、

バーとして「ムーンライト」は復活したのだが、

ちょうどその頃にキディは突然の病を患ってしまう。

体調の悪くなったキディを奥さんや妹のランディや友人のエリック、

そして同じようにキディのもとで不良の哲学を学び、

大阪で活躍している僕の友人のチャーリー・ニーシオらが片腕となって

「チャーリーブラウン」を維持しつづけたが、

残念ながら1994年の夏の終わり・・・。キディは帰らぬ人となった。

 

キディが亡くなって長い月日が経った今でも、

先輩方が当時の外人バーにまつわる興味深い話をいろいろ聞かせてくれる。

 

戦後の神戸には、「かまぼこ兵舎」と呼ばれた米軍キャンプが磯上にあり、

そこの兵隊の為の憩いの場所として作られたのが、

「外人バー」の始まりだとか・・・。

「キングス・アームス」があったフラワーロード辺りから旧居留地を経て

元町、南京町界隈、そして「チャーリーブラウン」のある海岸通やここ栄町通近辺まで

一時は100軒近くの外人バーが存在したらしく、

オーセンティックなバーからレストランバーそして兵隊や船員相手の「酒と女」がウリの店まで、

いろんなタイプのお店を総称して「外人バー」と呼び、

「夜の女」という肩書きがなければ日本人は入れなかったそうだ。

今でも米軍基地周辺には、昔の名残をのこした米兵向けの飲屋街が全国に点在し、

時々映画のロケでも使われている。

そのあまりに妖し気で淫靡で危険な香りがする店内の映像はいつまでも記憶に残っていた。

戦後はまだ幼なかった先輩方も「外人バーエリアには近づくな」と親からキツく教えられていたそうで、

荒くれ兵隊が酒飲んで暴れ回る光景を偶然目にした時の子供心の恐怖は想像がつく。

特に米兵同士の喧嘩に加え、ヤクザの縄張り争いや地権争い、イザコザ等も日常の出来事だったそうだ。

 

米軍キャンプも撤去され、昭和30年代には、

米兵に変わって外国貨物船の船乗りたちが続々と陸に上がり馴染みのバーに繰り出していく。

其処に行けば必ず、美味しい酒があり、好きな音楽が聞け、目当ての女や男?が待っていた。

故郷のないスクリーンの中の渡り鳥だって、

見知らぬ国の船乗りたちだって、どこかに安らげる場所を探していたはずだ。

酒場に理屈はいらない。

 

僕はここ数年で目まぐるしく変貌してきた海岸通や栄町通を横目で眺めている。

関係ないとウソぶきながら頑に「港町の酒場」にこだわり続ける僕を見て、

キディが生きていれば、きっとこう言うだろう。

 

「ムカシ・ワ・ムカシ・イマ・ワ・イマ・ナ・・・ワカル?・・・テツ・・・」

 

神戸の港が華やかで活気に溢れ、そして町の経済活動の基盤だった「ムカシ」を僕は知らない。

みかん箱から溢れ出すばかりのドル札を片足で押さえながら酒を作っていた時代は、二度と来ないだろう。

そして、高度経済成長による物流の変化と港湾、海運業の近代化の下にコンテナ主流となった「イマ」がある。

すでに世界の船乗りたちは、条件の良い近隣アジアの港に鞍替えをしたと聞く。

 

「ムーンライト」に毎年のように訪ねてくれたイギリスのトミーさんも、2年か3年に一度しか来なくなった。

壊れたテレビを抱えてモトコーを歩く、

妖し気な東南アジアの船員たちも知らないうちに何処かへ消えた。

 

汽笛が聞こえない神戸は寂しい。

 

「チャーリーブラウン」の鐘はもう鳴らないのだろうか・・・

 

 (*フリーペーパー「神戸からのメッセージ」(2006〜2007)に連載されたものを編集したものです。)

フリーペーパー「yurari」vol.3 (2013年)

BAR特集の中の "外人バー" というエッセイには "Bar Moon-Lite"と"CHARLIE BROWN" が

モデルとして登場します。波止場通信社の竹内さんありがとうございました。

BOTTOMS UP ! 栄町

「SOUTH OF CHINA TOWN」Hiroyuki Tanaka
「SOUTH OF CHINA TOWN」Hiroyuki Tanaka

ここ数年のうちに、神戸のガイドブックやTVの観光案内に「乙仲通」がよく登場するようになった。

 

 「乙仲 -おつなか-」とは1939年の海運組合法で決められた通称で、

定期船貨物の取次をする仲介業者を「乙仲」不定期船貨物の取次をするのが「甲仲」と呼ぶのだそうだ。

「乙仲通」とは、かんたんに言えば貨物船の荷物を運んだ道ということになる。

店を始めた頃、この界隈に昔から住んでいる方や船舶関係で働いている方が 「乙仲」という言葉を使うのを時々耳にしたが、

地元の人間じゃない僕にとっては死語のような印象しかなかった。

 

昔うろうろしていた頃、僕はこの辺を「南京町の南」と呼んでいた。

うろうろするといっても、キディがいた「チャーリー・ブラウン」で昼からビールを飲むか、

 「喫茶コットンで」タンゴを聞きながらミルク入り珈琲を飲むかぐらいだったが・・・

港町特有の少しさびれたムードが好きだった。

居留地とは全然違う、何やら怪しげな路地があちこちにあったのも惹かれる原因だったと思う。

船舶関係や謎の中国貿易商みたいな事務所がならび、古い喫茶店も食堂も年季を重ねた店構えだった。

裕次郎の「赤い波止場」に出てくる神戸の街はきっとこんな感じなんだろうなと思いながら歩いていた。

汽笛も聞こえたし、梅雨時には潮の香りが街を包む日もあった。

 
Bar Moon-Lite 1992年2月オープン時
Bar Moon-Lite 1992年2月オープン時

 

 

1992年、 バー・ムーンライト をオープンした当時も

このあたりはまだ昔のままで、

表通りには銀行が建ち並び、

昼間はにぎやかだが夕方6時を過ぎれば

ほとんど人がいなくなる。

ここの物件 (元はガレージだった) を決めた時も

家主から「夜は人通りないですよ」と逆に心配されたり、

「なんでそんな場所でバーをやるんや?」と、

僕のまわりの人間はほとんど反対していた。

まあ、やってみないとわからんし...というのが僕のいつもの答え。

オープン当初は、さすがに友人と猫しか来なかった.....

 

状況が変わったのは雑誌「Meets」に紹介されてからだった。

 

誰も手を付けなかった 「栄町」の路地裏で勇敢にも酒場を始めたというのが格好のネタになったらしい。

 

 ラッキーだったのは、それをきっかけに情報誌、ファッション紙、経済誌からエロ雑誌まで

次々と取材があった事だ。

商売として考えれば、おかげさまで・・・の一言につきる。

だいたい紹介される時はいつも~神戸隠れ家BAR特集~みたいなテーマだったが、

毎月のようにいろんな雑誌に登場すれば「隠れ家も隠れ家じゃなくなってしまうぞ」と

友人に叱られた。

考えてみればその通り。まるで誰でも知ってる秘密結社みたいなもんか・・・

 

 

その年の11月にハーバーランドができ、この辺りにもカフェやバーやブティックがポツポツ現れだした。

観光ガイドブックには 「栄町」エリアとして紹介され、京都や大阪からからも遊びに来られる方が増え、

昼間はもちろんのこと、寂しかった夜の栄町にも少しずつ人が徘徊するようになった。

バーも増えれば酔っぱらいも増えるわけで、時々住民の方に迷惑をかけ心苦しい思いをしたこともあった。

 

1995年1月17日。そのまま賑わい続けていくはずだった神戸の街は阪神大震災で一変する。

 

築数十年の事務所や銀行はほとんど崩れ落ち、瓦礫となり、撤退していく会社や事務所も多かった。

すっかり開店当時の暗くて怖い路地に戻ってしまったが、

生き残ったお店の人たちは協力し合ってなんとか店をやり続けた。

 

変わり果てた栄町にも2000年頃からようやく復興が進み始める。

新しくビルやマンションが建ち始め「乙仲通りプロジェクト」の街おこしもスタートした。

ずっと借り手のなかった空き物件にもブティックや雑貨屋が次々とオープンし、

たかだか数年の間に100軒近くの店が東西の長い距離に軒をならべていた。

そうして古い「乙仲通」の時代は終わった。

港湾貨物も通らない「乙仲通」は、新しい街「オツナカ」として誕生した。

今、メディアは揃って「オツナカ」を取り上げ、その「オツナカ的」な店を目指してたくさんの人が訪れる。

何が「オツナカ的」なのかよくわからないが、賑やかになることはいい事だと思う。

 

日本の高度成長は、古いものを切り捨てることで達成された。

今でも古い商店街はどんどん取り壊され、どこの駅前にも同じようなショッピングモールができ、同じような有名店が並んでいる。

コンビニやドラッグストアが増殖し、単一化されてゆく街にはもう個性は必要ないのだろうか?

明治から大正、大正から昭和、そして昭和が捨てられ平成に変わるように、

この国はすべて使い捨ての国なんだと誰かが言っていたことを思い出した。

 

できれば「オツナカ的」は「個性的」であってほしいと祈る。

2006年  神戸新聞総合出版センター
2006年 神戸新聞総合出版センター

 

 

切り絵作家の成田一徹さん(2012年没)は、

僕が店を始めるずっと前から、

この界隈をうろうろしていたそうだ。

生前、成田さんは時代に捨てられそうな風景を

「神戸の残り香」にして多くの作品を残してくれた。

その中でも「喫茶コットン」の扉が大好きだ。

残念ながらその「喫茶コットン」(1948年創業) は、

2003年、マスター御夫婦が亡くなったあと、

跡形もなくなり違う店に変わってしまった。

悲しかった。

 

嬉しかったこともある。2007年4月「チャーリーブラウン」が復活したことだ。

僕と30年以上のつき合いのある玉置くんが、がんばっている。

同じく8月、日本のノーザンソウル・シーンで名のある北秋くんが

「パブ・ケネス」を南京町の南にオープンさせた。

その北秋くんとも、知り合って20年になる。

音楽を通して知り合えた後輩たちのおかげで「栄町トライアングル」ができた。

 

それを紹介してくれたフリーペーパーもある。

神戸ノヲト (2010)
神戸ノヲト (2010)
Authentico Vol.1 (2012)
Authentico Vol.1 (2012)

昼は「オツナカ」と呼ばれても、夜は今も「栄町」のままだ。

その「栄町」には、たくさんの景色やお店や人たちとの想い出が詰まっている。

 

僕は「喫茶コットン」の御夫妻や "チャーリー・ブラウン" のキディが生きていた頃の 「栄町」の "残り香" を大切にしたい。

 

その "残り香" は「パブ・ケネス」の北秋くんや「チャーリー・ブラウン」の玉置くんにもきっと届いているような気がする。

 

Bottoms Up! 栄町

 


1994年12月 ● 最高にドラマティックな夜

1994年の神戸は狂っていた。

9月に関西国際空港が開港したせいかどうかはわからない。

前年に行われたニューオリンズ音楽祭の話は前に書いたが、それに勝るとも劣らないイベントが神戸のチキンジョージで繰り広げられた。

うすれた記憶の中をたどれば、Blue Magic, Bootsy Collins, Ohio Players, Gap Band, Maze featuring Frankie Beverly...(他は思い出せない) がたて続けにやって来たのだった。

どれも素晴らしいライヴだったが、特に忘れられないのが Dramatics だ。

 

12月21日のチキンジョージLIVEの前日の夜遅く、主催のアイシャの増田さんから「今日着いたのでメンバーを連れて行っていいか?」との電話があった。半信半疑でドキドキしながら待っていると約1時間後、増田さんを筆頭に黒い人がぞろぞろと入って来た。ああ・・・L.J.レイノルズがいる・・・おお!ロンバンクスもいるぞ・・・と、しばらくは興奮を超えた緊張感で体が包まれていた。

メンバーはみんなフレンドリーで、ソウルミュージックが好きなお客さんも多かったせいか、とても楽しそうだった。L.J.は爪楊枝をくわえたままで女性にばかり声をかけていた。 

あわててレコードを取りに帰るお客さんもいた。

全員、皿に盛った塩をなめながらブランデーのストレートを飲んでいる。

2,3杯飲んでさらに気分がよくなったのか、突然、BGMで流れていた自分たちのレコードに合わせて

L.J.が歌いだした。そして他のメンバーがコーラスをつける。生ドラマティックス。感動・・・

しばらくすると、テンプテーションズの曲をリクエストされた。

流れ出すと今度は全員が踊りだした。またもや感動・・・

あまりに一生懸命踊っているので、増田さんに聞いてみたら、どうも明日のチキンジョージでテンプスの曲を歌うらしくて、その練習をしているそうだった。

その日は、噂を聞きつけてどんどんお客さんが増えてきて、ゆっくり観賞していられなくなったのですが、

帰り際にお前の好きな曲は?と聞かれ "In The Rain" と答えると即座にアカペラでワンフレーズ歌ってもらえました。感無量・・・

 

L.J とアイシャの増田さん,後はMJ
L.J とアイシャの増田さん,後はMJ
ドラマティックス和気あいあい,後は沼ちゃんとヒロくん
ドラマティックス和気あいあい,後は沼ちゃんとヒロくん

ライブ当日は、オープニング・アクトのヒューマン・ソウルも炸裂し、ドラマティックスのステージは更に盛り上がり、沸点を超えていました。これぞコーラスグループの王道 !!

 

前日の出来事も含めて夢のような2日間でした。

 

そして翌年やってきたのは、阪神大震災。

やっぱり1994年の神戸は狂っていた。

 

*神戸のみんなにメリークリスマスと伝えてくれと、

25日の名古屋公演のあと電話をくれた ロン・バンクスは201058歳で亡くなった。

オハイオ・プレイヤーズのシュガーフットも今年の1月に天国に行った。

ムーンライトで楽しそうに過ごしていたことを想い出す。 R.I.P.

森雄二とサザンクロス「三の宮ブルース」(1980 クラウン)

 

以前、外人のお客さんに「HAT神戸」のHATは何の略か?と尋ねられた。

知らなかったので調べてみたら「ホット・アクティブ・タウン」の略だった。

「熱くて元気な街」…その外人さんにずっと大笑いをされて、なんか神戸人として恥ずかしい気分だった。

元からあった街の名前なら仕方がないが、後から作られる街のネーミングを誰が考えるんだろう? 

役所の人間にセンスを求めるのは間違っているかもしれないが、

せめて海外からのお客さんに笑われないような名前を考えられないものだろうか?...

新しい街の名前を一般公募して決めるというのも一時全国的に流行したことがあったが、

選考するのが役所の人間なのだから期待できるわけがない。

どうでもいいような事に予算が組まれ、それが市民の税金ですすめられているというのも問題だ。

 

みうらじゅんが考えたといわれる「ゆるキャラ」ブームも、どうでもいい事のひとつような気がする。

2011年の熊本県"くまモン"の大ヒットで便乗しようとした都道府県市町村が

イラストレーターに頼んで適当に作りました…みたいなのがあまりにも多すぎる。

まあ中にはおもしろいのもあるが….。

僕は新聞もTVもほとんど見ないので、中央区に「かもめん」というのがあることを最近知った。

可愛いとはとは思うが、これで街が活性化するというより幼稚園化するんじゃないか?

 

ひと昔前にはご当地ソングと呼ばれる~その町を舞台にしたラブストーリーで、地名が歌詞の中に盛り込まれた歌~がたくさん作られた。

1966年に「柳ケ瀬ブルース」(美川憲一)がヒットすると映画まで作られ、"柳ケ瀬"の歓楽街には全国から観光客が押し寄せたそうだ。

レコード会社はそれに目を付け地元の協力も得ながら、次々に日本全国のご当地ソングを発売していく。

ほとんどが酒場で流れるような夜のムード歌謡やソフト演歌路線だった。

もう今では "ご当地ソング" と呼ばないかもしれないが 1968年に「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ) が100万枚のミリオンセラーとなり、1971年には「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)がオリコンチャートNo.1に輝き "ヨコハマ" の歌はジャンルを超えて次々にリリースされていった。

そんな中でも1977年の「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」(藤竜也 作詞、エディ藩 作曲) はいろんな人に歌い継がれて今も王道を行く。

僕は昔から思っているのだが、横浜には歌になりやすい響きのいい地名や場所や伝説がいっぱいあるような気がする。

本牧、伊勢佐木町、馬車道、桜木町、チャイナタウン、山手のドルフィンもあれば、ハマのメリーさんもいる。

 さて同じ港町神戸となるとどうか?さすが観光都市…調べてみるとレコードはたくさん発売されていたが知らない曲が多い。

「そして神戸」(内山田洋とクールファイブ)や「ポートピア'81」(ゴダイゴ)が全国的にヒットしたくらいで、「神戸で死ねたら」(西田佐知子)とか隠れた名曲もあるが、知っている人は少ない。

神戸のご当地ソングレコードを何枚か持っているが、聞いてみると地味な曲が多かった。

 

港、タワー、波止場、元町、風見鶏…という定番の言葉は使われているが、どこにでもある港町の風景で、神戸らしさを感じさせない。

"サカエマチ"とか"ハナクマ"とか"シンカイチ"とか "オツナカ" という歌詞があってもいいと思うが、言葉のリズムが悪い。

言葉のリズムが悪いと、歌詞に乗りにくいし、歌いにくい。聞いていてどうもぎこちない感じがする。かんたんに言うと最近若い人たちが使う "ハンパナイ"みたいなもんか?

 

 まあ、横浜と神戸を比べてみても仕方がないが、

「横浜ホンキートンク・ブルース」に対抗できるのは (いや、対抗するのは大変失礼ですが)

1980年に発売された、森雄二とサザンクロスの「三の宮ブルース」くらいだろう。

まったくブルースじゃなくて、ムード歌謡なんですが...

「サンノミヤ」をこれほどリズムに乗せ、インパクトのある言葉にした曲は他にない。

僕は神戸のご当地ソング ナンバー1だと思う。

是非、ィヨコハマの "クレイジーケンバンド" にリメイクしていただきたいと切に願う。

 

梅宮辰夫「番長シャロック / 盃よお前だけ」(テイチク)

先日、中古盤で手に入れた梅宮辰夫の「番長シャロック」。そのB面「盃よお前だけ」の作詞を手がけたのは俺や!と言うお客様がおりまして確認したら、やはりその方のクレジットがありました。映画黄金時代の "東映" 出身で現在はテレビ業界のシーラカンスと呼ばれています。尼子さん、いつもありがとうございます。

ひとつ気になるのはジャケットのサイン...ホンモノかな?

1997年 ● ムーンライト・ジェラシー

1997年にビクターから発売された"ムーンライト・ジェラシー"というCDシングル。

歌っているのは、長山洋子&中村橋之助です。

あるビデオ制作会社の方から突然「カラオケビデオの撮影で、そちらのお店を使わせてほしい」と電話がありました。

てっきり以前にいらしたことのあるお客様かと思っていたのですが、話を聞けばお店には行った事はなく電話帳で調べたそうで、舞台は神戸に決まっており、BARのシーンを撮影するための酒場を探しているうちにココを見つけたらしい。でも、どんな店かもわからないのにいいんですか?と逆に心配になってたずねたところ、"Meets" か何かの雑誌を見て確認しているとのこと。タイトルが "ムーンライト・ジェラシー" なだけに担当の方はピンときたと言ってました。

というわけで、数日後の昼間に撮影がおこなわれ、出演するモデルさんやらスタッフの方が手際よく動き、もしかして僕も出演できるのかなぁとひそかに期待していたら、きっちりマスター役も連れてきてて、グラスの拭き方の技術指導を頼まれただけで、他は出番なし。残念。

 

2時間ほどで撮影は無事終了そして撤収。制作会社の方から出来上がればビデオにして送りますとのことでした。実際どこでカラオケを歌えば見ることが出来るんでしょうか?と質問したところ、クラリオンの"8トラック・カラオケ"ですので田舎のスナックくらいですかね・・・って、1997年当時はすでにレーザー・カラオケから通信カラオケに変わりつつあったというのに・・・

 

で、送られてきたビデオからDVDに変換してYouTube にアップロードしました。改装前のカウンター逆バージョンの バー・ムーンライトです。

いい曲ですのでぜひ原曲も聴いて歌って下さい。

1993年9月 ● 神戸の熱い10日間 ~ アーバンリゾートフェア神戸93

「アーバン・リゾート・フェア神戸 '93*KOBE URBAN RESORT JAZZ HERITAGE 」

神戸にこんなイベントがあった事を覚えてますか?

 

1993年9月17日〜26日の10日間。「日本初、本場ニューオリンズのジャズメンたちが集う、多彩なJAZZの祭典」という謳い文句でメリケンパークを中心に西は新開地、北は有馬温泉まで、神戸の街がニューオリンズ・サウンドであふれました。音楽プロデューサー山岸潤史さん(ニューオリンズ在住、Wild Magnoliasのギタリスト)の功績も大きいが、とりあえずよくやった神戸市長 ! と誉めてあげたい。 (当時は笹山さん) 

 

パンフレットをひさしぶりに見てみると、あらためて歴史的なイベントだった事がよくわかる。

 

出演メンバーは、The Five Blind Boys Of Alabama, The Wild Magnolias, Marva Wright, Henly Butler, Zachary Richard, Dr.Michael White & The New Liberty Jazz Band, Johnny Adams, Charlie Musselwhite, L'il Queenie, John Mooney, Storyville Stompers, Dixieland Allstars, The Batiste Bあrothers, New Orleans Special Band, Band of Pleasure (featuring James Gadon & David T. Walker),

ヒューマン・ソウル, 六本木スワンプ・バンド, 有吉須美人, 永井"ホトケ"隆, サウスサイド・ジャズバンド, ディキシー・キッズ, ヴォイス・オブ・チヴェラ・ウォーターetc...日米入り乱れてスタッフも合わせたら総勢何人になるんだろう?とか思いながら、イベントは始まった。

 

  場所がメリケンパークだったのと出演者の"ヒューマン・ソウル"のメンバーが旧知の間柄だったのとで、会場から一番近いうちの店が自然に打ち上げ会場になり、毎晩9時頃からぞくぞく黒人のミュージシャンが訪れ始めて10時には満席、店内真っ黒黒黒になる。それが10日間も続くのですよ...まるでニューオリンズのバーで働かされているみたいな気分でした。困ったのはキャッシュ・オン・デリバリーなのに、どさくさまぎれでお金を払わんヤツがたまにおったりして、そういう時は高架下のオバハンから学んだ「ユー・ノー・ペイ!ノー・セル!」(おんどれ、なめとったらあかんどぉ〜モード)でばっちりOK。そしていつも宴会部長のハーマン (Dr.Johnバンドのドラマー"Harman Ernest Ⅲ" 2011年3月死去)の仕切りでパーティーがスタートし、夜更けまで大音量ディスコ大会があったり、大リクエスト大会になったりで、とにかく忙しいやら嬉しいやらの10日間でした。スタッフの話だと、毎日演奏が終わると「Let's Go! ムーンライト 」と言うのが合い言葉だったそうです。

そんな中、ある黒人のミュージシャンが "ブラッディー・マリー" を注文した時の事、当時はカゴメのトマトジュースを使っていたのですが、出来上がりの水っぽさがどうも気に入らなかったようで、ブラックペッパー出せ...ウスターソースを入れろ...タバスコをたらせ...塩がちょっと足らんぞ...と英語でまくしたてられて困ってしまいました。まあ、カゴメに怒っても仕方ないのですが、どうも日本のトマトジュースが黒人というかアメリカ人と相性が悪いんやなということに気がついたわけです。

たまたま次の日、元町の明治屋 (2013年1月閉店) に買い物へ行った時、タバスコ社のトマトジュースを見つけて買って飲んでみたところ、日本のトマトジュースとまったく違う味でびっくり...スパイスたっぷりのトマトソースみたいな濃厚な味でした。まさにコレですね。今夜もやってくるだろうメンバーたちの喜ぶ顔が目に浮かぶようで思わず明治屋さんで大量に買い込みました。

 

というわけで、バー・ムーンライト の辛口ブラッディ・マリーは、その夜に誕生し定番メニューになりました。

(現在は、Mr & Mrs T社のブラッディー・マリー・ミックスを使用してます)

 

 

 

 

10日間も毎日顔を合わしてたら、なんかすっかり親しくなったニューオリンズの面々。

帰り際には、「ニューオリンズで店をやれ、俺は毎日通うぞ」とか

「遊びにきたらここに連絡しろ」とかいいながら

置いていった連絡先メモやら名刺が懐かしいです。

いつか絶対ニューオリンズに行こう。

 

 

 

震災以降、心動かされるようなイベントもない神戸の街、

次の市長に期待してます。

神戸市長選挙は10月27日(日)

★トアウエストで、おいしいガンボが食べられる

ボ・タンバリンカフェ
ボ・タンバリンカフェ

その後の "Five Heartbeats"

バー・ムーンライト がオープンして間もない頃、

ある音楽雑誌で、1991年公開の"Five Heartbeats"という映画のビデオが発売された

という記事を見つけて、ちょうどその頃アメリカに旅行に行く友人に頼んで買ってきてもらいました。

 もちろん字幕なしで見たのですが、あまり言葉が解らなくてもその時の興奮は今でも忘れません。

もともと僕は 70's ソウル・ミュージック、特にヴォーカル・グループが大好きなので、

テンプテーションズやデルズのストーリーを元に作られたこの映画にすっかりハマってしまいました。

その数年後に日本語字幕入りのビデオが発売された時、あらためて内容を把握することができました。

日本では音楽モノの映画は興行的にむずかしいみたいでどこにも上映されなかったのが残念です。

あの「ドリーム・ガールズ」でさえグラミー賞の話題になるまでは、映画館はがらがらで、

ワインのボトルを持ち込んで貸し切りで見たという方もいました。

 とにかくこの "Five Heartbeats"は、Soulファンでなくても、

一人でも多くの音楽好きな方に見てほしい映画です。

残念ながら日本版のDVDは未発売なのですが...

 

そしてその "Five Heartbeats" 以降はどうなった?といえば、

 

Robert Townsend (監督 & ダック役) 

Michael Wright (エディ役)  

Leon (JT役)

Harry Lennix (ドレッサー役)

Tico Wells (クワイアーボーイ役) 

 

メンバーはもちろん役者さんですので、

それぞれいろんな映画に出演してます。調べてみたら、日本未公開が多かったようです。

詳しくは IMDb でどうぞ。


その中でもLeonだけが "Five Heartbeats" の魂を引き継いでいるかのように

次々に音楽映画に出演しています。

 

1998年の "The Temptations" (日本版DVDあり) はTVムービーで、

もちろんあのテンプテーションズの伝記物語。

リーダーのオーティス・ウイリアムスの視点で展開するために

ストーリーはちょっと?な部分もありますが、オススメです。

見所はデビッド・ラフィンの役を演じるLeonで、これがまたスゴイ!!!  

途中で本物を見ているような錯覚に陥るほど鬼気せまる演技にノックアウトされます。

そして、翌年1999年に"Mr.Rock'n'Roll : The Alan Freed Story" (日本版未発売)

というTVムービーでジャッキー・ウイルソン役を好演。

内容は1950年代のロックンロール・シーンに欠かせないDJ アラン・フリードの物語。

2000年も同じくTVムービー "Little Richard"  (日本版未発売ですが昔ケーブルTVでやってた) 

リトル・リチャード役を怪演?し、たて続けに音楽役者ぶりを発揮しました。

オールディーズ音楽映画はLeonにまかせろ!という感じでこの3年間はノリノリでした。

 

この"Little Richard"には、テンプテーションズのアリオリ・ウッドソン (2010年に58歳で死去) が、

ベーシスト役で登場します。

ちなみに、"Five Heartbeats" のエディ役のMichael Wright は、

アリオリのステージングをかなり参考にしたということです。

 

 そしてもう一人 "Five Heartbeats" で絶対忘れてはいけないのが Tressa Thomas。

ダックの妹役での熱唱シーンは何度見ても胸が熱くなります。 

"Little Richard" にもちょっとだけ登場しソウルフルな歌声を披露しました。

その後もミュージカルとかに出演しながら

2010年には "Thyck Glow"という曲でシングル・デヴューしました。

淡々と始まって途中から盛り上がっていくというオーソドックなゴスペル風の曲調で、

映画シーンを少し思いださせます。

近々"Hybrid Soul" というアルバムが出るそうで待ち遠しいです。

 

興味のある方は

Tressa Thomas オフィシャル・ホームページ (音が出ます)へどうぞ。 

 


 

 

おまけ * エディ役のMichael Wright は、

2012年に飲酒運転でパトカーにぶつかり逮捕されてたそうです。

まるで、映画みたいやね...

なかの綾「ホテル / ラヴ・イズ・オーヴァー」(2013年 ViVid)

9月に"横浜フライデー"の「なかの綾」LIVEに行ったお客さんが、本人と話す機会がありサインをもらってきてくれました。今どきアナログ7インチ作ってくれるアーティストは貴重ですね。CDも2枚出てます。どちらもオススメです。店でかけてたら必ずと言っていいほど「これ誰ですか?」と聞かれます。演歌+ラテンの完成形。JUKE BOXへ

収穫シリーズ pt.2 ルッコラ & ミント

 

 

 

 

 

暑い昼下がりに収穫にはげむ HISAMIさん。

トアウエスト喜久屋さんのサンバイザーを愛用

 

 

 

今年も猛暑で、プランターのハーブがあわや全滅状態で困ってましたが、

朝晩だけでも気温が下がるととたんに元気を取り戻してくれました。

人間も同じようなもんですね。

 

ピラティスのよしこ先生からいただいた種から育てたルッコラ

   強烈に辛くておいしいです。

 この後花が咲いて種が採れます。

そして、春になったらまた蒔いて...

 

 

 

 

 

 

←ミントも3年目になります。

   最初2本の苗からスタートして

 今はプランター4つ。

 

   

 

 

     いい葉が収穫できればその日は.....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 ● おいしいモヒートが作れます

 

福の神*仙台四郎さん

 

 

 

 

ホームページのバックグラウンドに突然現れる人形はなんですか?とよく聞かれるのですが、

それは、店の入口近くに飾ってある"仙台四郎”さんという人形です。

先日、仙台帰りの友人におみやげでいただいたもので、解説によると"仙台四郎”さんは実在した人物で、幸運を呼び商売繁盛にしてくれる福の神だそうです。

四郎さん、よろしくお願い致します。

祝20周年! ハバダッシェリー

20数年前、三宮の"HOUSTON101" というショッピングモールの地下に"突撃洋服店"の系列店「極東放送」という古着屋がありました。

僕はそこで一時期スタッフとして働いていたのですが、

ちょうど同じ時期にハバダッシェリーの山本さんが"突撃洋服店"本店にいたのを覚えています。

あまり顔を合わせることはなかったのですが、同じ時期に同じような時間を過ごしていたのかなぁ...とかいろいろ思い出しました。

 

バー・ムーンライトも昨年無事に成人式を終えました。

ハバダッシェリーの20周年もバンドで参加したかったんですが、

都合がつかずにすみません山本さん。

当日は、大阪のエルビスことチャーリー・ニーシオのLIVE や VINTAGEファッション・ショーが繰り広げられる模様・・・10月12日(土) は、三宮クラブ月世界へGO!

Impastare ピザの生地を作る

 

 

 

1. ボールに材料を入れ

 

 

 

2. おみやげでいただいたシチリア島の地図の入ったエプロン着用し、気合いを入れて捏ねまくるマスター

 

 

 

3. 20分くらい捏ねれば、こんな感じ

 

 

 

4. 1時間生地を寝かしてガス抜き

 

 

 

5. 4時間くらいで完成

 

30数年前にアルバイトをしてた喫茶店で覚えた自家製ピザのレシピが原型になってます。

改装前までは、ガスが通ってなかったので小さいオーブントースターで焼いてました。

ずっと、アメリカン・クリスピータイプで通していたのですが、

2012年、旅行で訪れた モルディブのヴァカルファリという島のイタリア人シェフからナポリピザのレシピを教えてもらい、帰国後にさっそくトライ!

今まで作ってきたのとは、まったく違う作り方でびっくりしました。

で、試行錯誤の結果・・・ナポリピザは、400度の石釜で焼かなければ完成しないということがわかり断念。その後、アメリカン・タイプとナポリピザを融合させてみたところええ感じに仕上がりました。

現在のバー・ムーンライトのピザは「ナポリカン」ピザということになります。

ぜひお召し上がり下さい。

Raccolta delle Olive - オリーブの収穫

3年目のオリーブにどっさり(?) 実がなりました。塩漬けにトライします。出来上がりは半年後の予定です。成功すれば、試食して頂けるかも.....。

SOUL 蟻地獄*I Gotcha アイ・ガッチャ 10月13日オープン!

その世界では知る人ぞ知る中岡さんのお店「i Gotcha アイ・ガッチャ」がついにオープンします。

10月13日(日) / 14日(祝) は日本のソウル界の大御所が集結するグランド・オープニング・パーティ。

京都は燃え上がる!

成田一徹・切り絵展 本日最終日

元町海文堂2Fで開催されている「成田一徹・切り絵展」は今日が最終日です。

昨年お亡くなりになった成田一徹さんの原画が展示されてます。

バー・ムーンライトも開店以来何度か”切り絵”のモデルになりました。

"切り絵"の原画に興味ある方は是非ご覧になってみて下さい。

 

99年続いた元町海文堂も残念ながら9月末で閉店...ドラッグストアになるらしい。

そのうち、コンビニとドラッグストアの街になるよ・・・

 

facebook再デビュー

facebookは個人で一時登録していた時期があったのですが、

僕もヒサミも携帯を持ってないので、facebookを利用する意味もなく、

友達承認の煩わしさからも脱出したかったので退会を申し込むと

「あなたのアカウントは永久に削除されますがそれでもやめますか?」とか脅されたりして

一応永久追放みたいな形になりました。

 今回の facebook 出戻りというのは、友人からの情報で、

店舗で登録すれば機能制限付きだけど友達承認とかもしなくていいし、

店の宣伝にもなるよ...とのことで再トライしたというわけです。

で、立ち上げ3日たって、覗いてみたら”ねずみ講”のように(笑)どんどん友達が増えてきてて

びっくり(店舗登録の場合は"友達"じゃなくて"ファン"と言うそうです。)

 

facebook ● Bar Moon-Lite 

 

ファンの皆様ありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。

TETSU & HISAMI